ブラック企業をやめたきっかけ 3

お腹がかなり減っていたのか、早食いになれていたのか、とにかくそんなに時間はかからず食べ終わりました。

食べ終わってもまだ18時台だったかと思います。そのぐらいの時間に家でゆっくりすることなんてなかったので、何をしていいかもわからず、だらけてテレビを見ていました。

七時になるくらいにはお風呂に入ってのんびりしていました。なんだか、ちょっと悪いことをしているようなうしろめたさみたいなものを感じました。今頃みんな働いているのだなあと。でも仕事はしっかり整理してきていたので、あまり嫌な気持ちにはならずに、風呂で寝てしまいそうになりました。

上がって居間でゆっくりして、携帯のメールなんかを打ちながらだらだらしていました。

たぶん無意識に「眠い」とか「疲れた」とか言っていたようで、まだ19時台だったのですが親が布団を敷いてくれました。自分の部屋は荷物置きのようになっていたので、客間に布団は敷かれてしました。テレビをつけてぼーっと見ていました。

19時台のバラエティなんて本当に何年ぶりに見たかと思うほどでした。

たぶん平日休みだったので、そういう時は見てたかもしれないのですが、なんだか実家で見るとそういう気持ちとはまた別の安心感というか、本当に何も考えずに見て、笑っている状態になりました。布団でごろごろしたり、メールしたり、そのままずっとテレビをみたり。覚えているのが、22時から爆笑レッドカーペットがやっていて、それで大笑いしたのを覚えています。水曜日だったんだと思います。見ながら、笑っていると、ふいになんだか切ない気持ちにもなりました。これが普通の生活なんだと。世間の人はこうやって普通にごはんを食べて、風呂に入って、テレビ見て、寝る。ということができているのだと。

考えないようにしていた、「自分はなんのために仕事をしているのだろう」という気持ちが湧き上がってきました。「お金を稼ぐ」という目的はもちろんあるし、もともと、興味のある分野の仕事として始めたものですが、それももはや何の意味ももたなくなって、ただ、こなすだけの毎日、こなすことすらできず、追いつかない毎日。たとえ辞めたとしても経験としてさえ役に立つかわからないような仕事。なにか形になるようなものであればハードワークも耐えることができたかもしれませんが、自分にはそれがなく、見えなくなってしまっていることに気づきました。でもなぜか、テレビを見ながら姉と話をした会話の中では、会社の悪口や仕事の愚痴は一切出ず、こういう普通の状況の幸せさを何度も口にしていました。よっぽどだったんだと思います。愚痴を言えば止まらなくなって、嫌になるのを分かっていたので身体が勝手に拒否していたのかもしれません。言わないことがせめてもの救いになっていたのかもしれません。23時前に電気を消しましたが、疲れているのになかなか眠れませんでした。